オリンピック新競技のスケートボードの10代のメダルには驚くばかり。
しかし、血のにじむ努力という悲壮感漂うメダルには見えない。
日々のチャレンジが楽しくて楽しくて、たまたまその延長上にオリンピックがあっただけという
平常心の塊のように映る。
このような若者が集う道院を目指したいのだが現実は相当厳しい。
人は皆何か人参が無いと走れない煩悩の持つ主だから…合掌
オリンピック新競技のスケートボードの10代のメダルには驚くばかり。
しかし、血のにじむ努力という悲壮感漂うメダルには見えない。
日々のチャレンジが楽しくて楽しくて、たまたまその延長上にオリンピックがあっただけという
平常心の塊のように映る。
このような若者が集う道院を目指したいのだが現実は相当厳しい。
人は皆何か人参が無いと走れない煩悩の持つ主だから…合掌
私は、少林寺拳法を稽古・修練するという言葉を使います。
単なる武道やスポーツでない少林寺拳法は宗門の行ですから修行するとも使います。
身体と心を同時に修める事に重きを置いているからです。
しかし、言葉の響きだけで練習や鍛錬に偏っていないか注意しなければなりません。
各々の目的を叶える指導も必要ですが、正しい目標と目的を指し示すことが肝要であり
その養う行こそが金剛禅少林寺の易筋行たる少林寺拳法なのです。合掌
相手を動かすものは、単なる理論ではなく、相手に対するいたわりや、思いやり…すなわち人徳。
才が勝ちすぎてはいけないのである。
さて、開祖語録から「徳」を紐解いてみた。
開祖の教えを真摯に受け止め徳を積む修行を重ねていきたい。合掌
14年後には解体することになるのだが、最初に建てた28年前の72畳のプレハブ道場の入魂式前。
天童支部道場から天童長岡道院とし再スタート。
ここから多く拳士が羽ばたいていった。
今ならもっと良い指導が出来たと反省。
やはり一番変化したのは自分なのである。
自己変革・改革。覚醒。その拠点が道院です。
合掌
著書「夜と霧」の一説
われわれが人生の意味を問うのではなくて、われわれ自身が問われた者として体験されるのである・・・
これは諸行無常の中で、自分は何を選択するのか、その一瞬一瞬の選択こそが、自分を人生を造り上げるということなのだ。
「あなたはこの人生で自分自身をどういった人間に造り上げるのか?」と聞かれているのだ。
そしてそれに応えつづけることこそが、生きる意味なのではないでしょうか。
金剛禅少林寺は生きる活力を生み出す修行を行う場所なのです。合掌
このHPが正式に承認されようやく検索エンジンで探せるようになりました。
検索の際トップに出てくるまでは様々な事があり(Googleロボットがどうのこうの??)三ヶ月くらいかかるとの事らしいです。
さて、山形県も昨日梅雨明けし早速その日のうちに熱中症警戒アラートが発令されました。
盆地独特の風のない蒸し暑い日がやってきました。
日々の稽古はエアコンなしでは出来なくなり、真夏に床暖房付きみたいな環境で稽古していたのですから、今考えると懐かしくもありです。
稽古後に風呂に入りサッパリした後のビールは最高です。本当はいつ飲んでも美味いのです。
道院前の林檎が分かるようになりました。
不思議な大いなる力に包まれ結実していく姿。南無ダーマ。
梅雨前線の大雨で多度津町の桜川が氾濫手前。本山職員が自宅待機になったとの知らせです。大災害は免れたとのこと。コロナに大雨にご注意ください。
ようやく道院のHPが立ち上がりました。
今写真貼り付けに挑戦中。見習拳士のようです。
未完成ですが、少しずつ完成へ!!
© 2025 山形天童道院.