最新の記事 | 山形天童道院 | Page 13

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Shorinji Kempo

礼拝設備

久しぶりに礼拝設備を隅々まで磨いた。

禅宗の開祖達磨大師のお教えを守る者としては毎日の作務から始まるのが本性の姿。

私は在家であることを良しとして疎かにしている。

それを詫びるかのように磨いた。

心を磨くように。

澤田先生の遺影が笑ったように見えた。

合掌

北海道出張

1年8ヶ月ぶりに県外それも北海道特別昇格試験考試員として出張してきた。

五段受験の山形中部のダブル佐藤拳士とも同じ飛行機。

昼の到着だったがいつもの札幌空港は閑散としてコロナの影響を肌で感じた。

空港ラーメンストリートの「エビラーメン一幻」は行列。少し並んで「塩・そまのの・太麺」を頂いた。

見た目よりあっさり!!エビの風味に包まれる。流石ビブグルマン☆獲得である。

試験当日も天候に恵まれ北海道の空気が心地よいが、

試験の方は残念な結果になった受験者を担当することになって爽快とは言えないが仕方ない事である。

勿論ダブル佐藤拳士は見事合格である。

さて無事帰宅し翌日からは猫の額ほどの庭木の剪定。冬支度である。

今月は一年半ぶりに娘が二人目の里帰り出産のため初孫を連れて帰省する。

家族も増え今年の年末は騒がしい日々が続くのだろう。合掌

設立35周年

10月26日は道院設立35周年。

昨日は創始者 宗 道臣先生が多度津に新居を構え同時に六畳間に祭壇を安置し五畳半道場に移られた日。  

つまり少林寺拳法がスタートした記念の日てある。

それとは比べ物にはならないが、今日は当道院の運営許可日であり正式なスタートの日。

当初は天童支部道場であったが後に天童長岡道院となり現在の山形天童道院となった。

良く分からないままスタートした30歳時の私に伝えたい事はあるが過去は過去である。

 

『究極の真理へと到達するために精進努力し、

心、怯むことなく、行い、怠ることなく、

足取り堅固に、体力、智力を身につけて、

犀の角の如くただ独り歩め』 スッパニータより

 

 

感激の新入門者一人

この大阪モデルの山形県教区HPに道院HPをアップして3ヶ月が過ぎた。

その間二人からの問い合わせがあり、そのうち一人が新入門の手続きをしてくれた。

最近新入門は全くだったので久しぶりに在籍拳士共々喜んだ。

これまでフェスブックも立ち上げていたものの問い合わせは無かった。

ポスター掲載やチラシ配りも行ったが反応はゼロ。

市報掲載に体験教室を載せても参加者ゼロ。これまでこんなことはなかった。

「人間万事塞翁馬」は座右の銘ではあるが、少々心が落ち着かなかったのは本音である。

しかし、この本山で推進した大阪モデルに早々と参加したお蔭で成果が表れた。

この縁を大切に育て、更なる出会いがあることを念じ花を咲かせたい。合掌

念ずれば花開く

先日京都の峠先生と電話で近況報告をした。

私は1983年本山での指導者講習会の本部東道院受講生107名の一人だった。

このスタイルは最初で最後の講習会で、峠先生を道院長として若手職員5人が助教という構成で開催された。

その中でたった一人だが坂下先生が職員としてご健在である。

その後だから約40年近いお付き合いになる。

様々な資料をはじめおすすめ本など金剛禅教義に関わる沢山の智慧を分けて頂いた。

その縁が作用し、つい最近先生の右腕として転籍をしてくれた北野さんは以前当道院にも在籍した拳士。

先生曰く「いつも念じているんだよ」と。「念ずれば花開く」だよ。

「今日は素晴らしい新入門者と出会いますように」「道院の後を継いでくれる拳士と出会いますように」と…

この言葉は念じているだけで何かなすという事ではない。常に種を蒔き、光や水や栄養を適度に与えなければなせないのである。

この言葉を聞きその日から先ずは念ずることにした。

ただ時間になれば道衣を着て向かうという動作に一つ念じる動作を加え、また日々の行動も変える事にした。

やはり先生の言葉は栄養である。

昨日の稽古、早速我が物顔で「念ずれば花開く」を説法したのである。合掌

菩提達磨の命日

10月5日菩提達磨の命日として金剛禅少林寺では「達磨祭」として儀式を行います。本日は稽古日ではないので道院にて一人で挙行しました。

下記の写真の右の達磨の掛け軸は1988年8月山形県で訪中団を作り旅行した時に嵩山少林寺の村で買い求めたものです。あの当時中国人の一年分の給料とか言っていましたが、いくらだったのか33年前のことですから記憶もありません。

さて、1936年青年開祖が嵩山少林寺で義和門拳21代の師父を受け継いだ際、白衣殿南殿の大きな壁画の禅の修行僧の姿を脳裏に焼き付かせることとなったのです。

その後敗戦という悲惨な体験をし日本に帰国後、青年開祖が1947年多度津町にて宗門の行としての少林寺拳法を創始する契機となったのが、あの壁画の修行僧の姿だったのです。夢の中に達磨が現れ開祖を導かれたのです。釈尊の教えの実践者として、道の先駆者として敬い後について行こうと決めたのです。ですから達磨は私たちの祖師に当たるのです。

よって金剛禅少林寺では達磨を本尊として安置し礼拝しているのですが、その達磨像を祀り拝めば何か良いことが起きるとか幸せになるというものではありません。単なる仕掛けとしての達磨なのです。それは九転び十起きという不撓不屈の精神と本当の強さとやさしさを身につける事を誓い合うという事です。それが「達磨祭」です。

※九転び十起き…開祖がおつくりなった言葉で一般的な七転び八起きではまだまだ足りないと…何度でもやり直せるという叱咤激励の言葉ですね。 合掌                             

達磨祭

10月3日日曜日 専有修練道場での略式達磨祭を行いました。

午前中は道院にて本山配信の管長講話を拝聴しました。

10月通信

HP用 2021.10通信

10月は記念の日や行事が多くあります。コロナ禍ではありますが出来る範囲で行います。

楽しみながら体も心も健康になりましょう。合掌

 

掃除の功徳

9/24は掃除の日。それに因んでテレビで「掃除の功徳」の解説があった。

お釈迦さまは掃除の功徳が五つあると説いたという。

  1. 自身清浄…自分の心が清らかになる
  2. 他心清浄…他人の心を清らかにする
  3. 諸天歓喜…周囲の環境が整い生き生きとしてくる
  4. 端正の業を植ゆ…美しい行為の種がまかれる
  5. 命終の後、まさに天井に生ずべけん…死後かならず天上に生を受ける

金剛禅でも靴を揃え(脚下照顧)道場へ入って挨拶(合掌礼)をして掃除(作務)を行う。

よって作務は日常の生活で大切な修行の一つと教える。

しかし…釈尊が見たこともない天上については「無記」なのである。語らなかったのだ。

だから、六道輪廻し人間界の上にある天上界に行けるとした功徳は釈尊は言うはずもない。

このように結びつけたのは日本に仏教を伝来させた禅の高僧による作り話だろう。

本来掃除をしたり食事をしたり全ての行為はそれに徹することにあり、功徳を求めた途端に「分別」となる。

正しい釈尊の教えは「無分別」。何も求めずそれに徹する「今を生きる」ことにある。

でも、トイレには神様がいるから掃除をしようとか何らかの功徳があるからやろうとは、人の心を動かす「仕掛け」としては必要なのだと思う。合掌

 

 

 

 

 

金木犀

自宅道院にある金木犀が秋風に乗ってやってくる。

10月は達磨祭に少林寺拳法創始の日。そして当道院の設立記念の月と行事が多い。山形名物の秋の芋煮会もいつもの4人までとして欲しいと吉村知事。

だいぶ少なくなったとは言え、withコロナに舵を切らなければ何もできないと痛感の日々。

11月には二人目の里帰り出産のため家は賑やかになる。