最新の記事
Shorinji Kempo

念ずれば花開く

先日京都の峠先生と電話で近況報告をした。

私は1983年本山での指導者講習会の本部東道院受講生107名の一人だった。

このスタイルは最初で最後の講習会で、峠先生を道院長として若手職員5人が助教という構成で開催された。

その中でたった一人だが坂下先生が職員としてご健在である。

その後だから約40年近いお付き合いになる。

様々な資料をはじめおすすめ本など金剛禅教義に関わる沢山の智慧を分けて頂いた。

その縁が作用し、つい最近先生の右腕として転籍をしてくれた北野さんは以前当道院にも在籍した拳士。

先生曰く「いつも念じているんだよ」と。「念ずれば花開く」だよ。

「今日は素晴らしい新入門者と出会いますように」「道院の後を継いでくれる拳士と出会いますように」と…

この言葉は念じているだけで何かなすという事ではない。常に種を蒔き、光や水や栄養を適度に与えなければなせないのである。

この言葉を聞きその日から先ずは念ずることにした。

ただ時間になれば道衣を着て向かうという動作に一つ念じる動作を加え、また日々の行動も変える事にした。

やはり先生の言葉は栄養である。

昨日の稽古、早速我が物顔で「念ずれば花開く」を説法したのである。合掌

菩提達磨の命日

10月5日菩提達磨の命日として金剛禅少林寺では「達磨祭」として儀式を行います。本日は稽古日ではないので道院にて一人で挙行しました。

下記の写真の右の達磨の掛け軸は1988年8月山形県で訪中団を作り旅行した時に嵩山少林寺の村で買い求めたものです。あの当時中国人の一年分の給料とか言っていましたが、いくらだったのか33年前のことですから記憶もありません。

さて、1936年青年開祖が嵩山少林寺で義和門拳21代の師父を受け継いだ際、白衣殿南殿の大きな壁画の禅の修行僧の姿を脳裏に焼き付かせることとなったのです。

その後敗戦という悲惨な体験をし日本に帰国後、青年開祖が1947年多度津町にて宗門の行としての少林寺拳法を創始する契機となったのが、あの壁画の修行僧の姿だったのです。夢の中に達磨が現れ開祖を導かれたのです。釈尊の教えの実践者として、道の先駆者として敬い後について行こうと決めたのです。ですから達磨は私たちの祖師に当たるのです。

よって金剛禅少林寺では達磨を本尊として安置し礼拝しているのですが、その達磨像を祀り拝めば何か良いことが起きるとか幸せになるというものではありません。単なる仕掛けとしての達磨なのです。それは九転び十起きという不撓不屈の精神と本当の強さとやさしさを身につける事を誓い合うという事です。それが「達磨祭」です。

※九転び十起き…開祖がおつくりなった言葉で一般的な七転び八起きではまだまだ足りないと…何度でもやり直せるという叱咤激励の言葉ですね。 合掌                             

達磨祭

10月3日日曜日 専有修練道場での略式達磨祭を行いました。

午前中は道院にて本山配信の管長講話を拝聴しました。

10月通信

HP用 2021.10通信

10月は記念の日や行事が多くあります。コロナ禍ではありますが出来る範囲で行います。

楽しみながら体も心も健康になりましょう。合掌

 

掃除の功徳

9/24は掃除の日。それに因んでテレビで「掃除の功徳」の解説があった。

お釈迦さまは掃除の功徳が五つあると説いたという。

  1. 自身清浄…自分の心が清らかになる
  2. 他心清浄…他人の心を清らかにする
  3. 諸天歓喜…周囲の環境が整い生き生きとしてくる
  4. 端正の業を植ゆ…美しい行為の種がまかれる
  5. 命終の後、まさに天井に生ずべけん…死後かならず天上に生を受ける

金剛禅でも靴を揃え(脚下照顧)道場へ入って挨拶(合掌礼)をして掃除(作務)を行う。

よって作務は日常の生活で大切な修行の一つと教える。

しかし…釈尊が見たこともない天上については「無記」なのである。語らなかったのだ。

だから、六道輪廻し人間界の上にある天上界に行けるとした功徳は釈尊は言うはずもない。

このように結びつけたのは日本に仏教を伝来させた禅の高僧による作り話だろう。

本来掃除をしたり食事をしたり全ての行為はそれに徹することにあり、功徳を求めた途端に「分別」となる。

正しい釈尊の教えは「無分別」。何も求めずそれに徹する「今を生きる」ことにある。

でも、トイレには神様がいるから掃除をしようとか何らかの功徳があるからやろうとは、人の心を動かす「仕掛け」としては必要なのだと思う。合掌

 

 

 

 

 

金木犀

自宅道院にある金木犀が秋風に乗ってやってくる。

10月は達磨祭に少林寺拳法創始の日。そして当道院の設立記念の月と行事が多い。山形名物の秋の芋煮会もいつもの4人までとして欲しいと吉村知事。

だいぶ少なくなったとは言え、withコロナに舵を切らなければ何もできないと痛感の日々。

11月には二人目の里帰り出産のため家は賑やかになる。

 

秋風吹く

今日の我が家は秋刀魚。すっかり秋風が涼しい季節。

政界にも突如秋風が吹き荒れマスコミ界だけは大慌てのようだ。

「上に立つものの考え方一つでその組織は大きく変わる」と創始者・宗道臣先生は我々に教えてくれた。

だから君たちも良い方向へ変わる努力をしなさい…と!!

所で今日の秋刀魚の眼は生き生きしていて期待大である。

次期総理は如何な眼差しなのか静観しよう。合掌

 

 

 

9月稽古予定表

「久遠の家」さん修練場の稽古日を水曜日・日曜日の週二回にします。

 土曜日自宅兼用の道院にて座禅、教範・僧階学習中心で行います。参座希望はご連絡ください。

withコロナ

マスクを外した暮らしができて、普段会わない方と飲食が楽しめて、元の世界に近い接触が返ってくる、というイメージを抱く方も多いと思う。しかし、そのようにリスク認識が一気に社会全体で変わり得る、というような景色をすぐ先の未来に想像することは困難である。特に、現時点で見込まれる接種希望者がほぼ接種済みになるだろう今年11月後半の日本でそのようなリスク状態になることは、残念ながらほぼ期待できない。

これは京都大学の西浦教授(八割おじさん)の記事である。

実行再生産数は1以下にならないので今後5年位は感染爆発が時々起きるとのことだ。

少しでも先細りにするには今の所ワクチン接種しかないし、

そのワクチンも3回目、4回目と打ち続けるしかないのである。

パラオリがそうであったように、これからの大会や行事参加者は

ワクチン接種証が必要になってくるのだろうか。打たない権利がある中でどう説得してくのだろうか…

「半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを」打たない権利を主張する拳士は、

この言葉をどう受け止めるのだろうか。合掌

 

 

面授面受

本山会議のため一泊二日が無くなって一年半になる。

ZOOM会議は香川・三重・富山そして山形が一瞬でつながる。

言葉が重ならないように順番を待ち次に備える。

でも、遮ったり、割り込んだり、口調の変化があるから伝わるし、あなたの意見も見えてくる。

技術にしてもオンラインで流しているが確認作業としては良い方法。

しかし、目的が技術習得とするならそれでいいのだがそれはエサなのである。

それも高級なエサ。エサである以上何を釣るのか忘れてはいけない。

無くなられたK先生の「面授面受」の言葉を思い出す。

今は我慢の時、私は足りなかった内修の充実をして行こう。合掌